1890年~1958年 物故作家。
栃木県生まれ。本名は弥之助。初代鳳齋(鳳翁)の六男。幼少期より父・鳳翁に竹細工を学び、その後上京。10代の頃は日本画など学び、画家を目指した時期もあったという。1926年パリ万国博覧会で銅賞を受賞、1933年シカゴ万国博覧会にも出品。大正天皇の即位式用品や、昭和天皇の大礼献上品などの製作も行った。文展ではしばしば審査員を務め、芸術院会員となり、日本工芸会の理事も務めた。当時はまだ工芸品として地位の低かった竹細工を、美術品の域にまで高めた。息子の小玕齋も同じく竹工芸家である。
飯塚琅玕斎の作風
明治・大正において竹細工は産業的分野において地位が低く、茶道具の延長としての「道具」という扱いでした。そこから昭和へと時代が移り変わっていく中で、日本が持つ伝統的な幽玄と現代的な意匠を盛り込み「芸術」の域にまで精華させたのが飯塚琅玕斎です。
「真・行・草」を基本に、伸びやかでしなりのある沢山の種類の竹を用いて作られた作品はそれのみでも十分に美しさを備えていますが、花を生けたりと本来の道具として使用することでより一層輝くように計算されつくして作られています。もともと画家志望で、水彩画や日本画を愛していた琅玕斎は、竹工芸家として活躍の場を広げた後も書や俳句・和歌と言った日本文化の教養を積み、細部にまでこだわってパーツごとに使用する竹を替えるなど幅広い作風は変化に富んでいます。