1898年~1971年 物故作家。
広島県高田郡出身の日本画家。川合玉堂に師事し、1921年に第3回帝展で「夏の山」が初入選する。以後、入選を続け、1928年には「盛秋」で特選、1931年には第12回帝展で推薦・無鑑査作家となり、次回には審査員を務めるなど、官展の中心作家として活躍。戦後は1952年の日展で「室内」により日本芸術院賞を受賞し、1958年には日本芸術院会員となり、日展の常務理事として美術界の運営に貢献した。 また、私塾系作家の育成にも尽力し、戦前は戊申会や児玉画塾展、戦後は伊東深水や矢野橋村らと日月社を発足する。1957年には約1年間のヨーロッパ滞在中に水墨画展を各地で開催し、その経験をもとに「仏蘭西山水絵巻」を制作した。 1971年、死去。享年72歳。
2024年に広島県立美術館で「近代日本画の真髄 児玉希望-千変万化、驚異の筆力展」が開催された。
児玉希望の作風
児玉希望は、日本画を代表する画家の一人です。多彩な作風で知られていますが、特に<富士山>を題材とした作品が有名です。児玉の描く富士山は、雄大で力強い表現が特徴で、空や雲の動き、四季折々の自然の美しさを細やかに描いています。
初めは、師である川合玉堂から学んだ伝統的な日本画の技法を基礎として、風景や花鳥を描いていましたが、その後、洋画の手法や浮世絵、南画など、さまざまな絵画スタイルを研究し、自身の作品に取り入れました。戦後、ヨーロッパに渡り西洋美術を学んだ児玉は、非写実的な抽象表現や仏画など、従来の日本画とは異なる新たな表現に挑戦しました。常に新しい表現方法を追求した児玉の作品には、伝統的な日本画の技法とともに独自のモダンな感覚が融合しており、見る人の心を惹きつけます。