1928年~2013年 物故作家。
大阪府生まれ。関西学院大学文学部在学中に新制作協会の大住閑子と出会ったことをきっかけに絵を描き始める。1947年に画家吉原治良の門下となる。1954年吉原のもと、戦後日本の現代美術を代表する「具体美術協会」の創立メンバーとなる。「具体」という名の提案者でもある。トレードマークとも言うべき瓶詰した絵の具を画面上で炸裂させる手法をあみ出し、それが評価され1993年ベネチア・ビエンナーレに招待、1970年では万博博覧会お祭り広場で1000人花嫁のアートのプロデュースを手掛けた。吉原の死後具体が解散されるまで、協会の中心人物となり企画・制作で活躍した。75年ころからメールアートを始め、86年には自らの頭をスキンヘッドにしてそこに絵を描くというヘッドアートを行って話題となる。85年に来日したメール・アーティストで元原爆製造関係者である原子物理学者バーン・ポーターと交流を持ち、95年には彼にノーベル平和賞に推薦される。1998年にはアメリカMOCA「戦後の世界展」に世界の四大アーティストの一人に選ばれる。92年、障害者の芸術祭のアート部門実行委員長を務め、94年には日本障害者芸術文化協会会長に就任。1999年紺綬褒章受章。