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平櫛田中の彫刻美術館について解説|入館料金や鑑賞可能な作品についても紹介

近代彫刻の巨匠、平櫛田中(ひらくしでんちゅう)の彫刻を鑑賞したいときには、どの美術館へ足を運べばよいでしょうか?今回は、平櫛田中の彫刻を専門的にコレクションしている美術館を2つに加えて、仏教彫刻の真骨頂といわれる傑作が鑑賞可能な美術館を1つ紹介します。

美術館の料金や鑑賞できる作品とあわせて、知っておくと平櫛田中の彫刻をより深く楽しめる内容も合わせて紹介するので、美術館を訪れる前の予習に役立ててくださいね。



平櫛田中の作品鑑賞が可能な美術館


まずは、平櫛田中の作品を生で鑑賞できる、おすすめの美術館を3つ紹介します。



小平市平櫛田中彫刻美術館


平櫛田中彫刻美術館
出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

東京都にある小平(こだいら)市平櫛田中彫刻美術館は、平櫛田中が晩年の10年間を過ごした自宅を利用して開館した美術館です。年に4回の企画展示や、平櫛田中とゆかりのある作家の作品を展示する特別展を開催しており、多くの人々から親しまれています。

小平市平櫛田中彫刻美術館では、平櫛田中の遺した多くの彫刻や書、資料などを収蔵しています。なかでも、平櫛田中の代表作品である『転生(てんしょう)』(1920年)のブロンズ彫刻や、高さ58cmの試作の『鏡獅子』(1965年)は本美術館の見どころといえるでしょう。

また庭にあるクスノキの原木は、生前の平櫛田中が彫刻用に購入したもので、美術館のシンボルになっています。クスノキは軟らかくて加工しやすいため、平櫛田中の大型作品にもよく使われました。平櫛田中はこの地で、100歳を超えても精力的に作品制作にいそしみました。

名称小平市平櫛田中彫刻美術館
営業時間10:00〜16:00(入館は15:30まで) 
※火曜日、年末年始、展示替え期間は休館
料金一般300(220)円、小・中学生150(110)円
※( )内は20名以上の団体料金  ※特別展の観覧料は都度定める
住所東京都小平市学園西町1-7-5
電話番号042-341-0098
公式HPhttps://www.city.kodaira.tokyo.jp/dencyu/




井原市立田中美術館



井原市立田中美術館は、平櫛田中の出身地である岡山県の井原市にあります。平櫛田中が生前に小・中・高校へ寄贈していた作品や、開館にともなって寄贈された作品、平櫛田中の遺族から贈られた作品を中心に所蔵するほか、田中とゆかりの深い日本美術院の作家の作品などをコレクションしています。

井原市立田中美術館は、ともに平櫛田中の代表作品である『転生』(1920年)や『五浦釣人(いづらちょうじん)』(1943年)のブロンズ彫刻、そして平櫛田中の座右の銘である『いまやらねば いつできる わしがやらねば たれがやる』の書などを所蔵しています。

名称井原私立田中美術館(新館建設工事のため長期休館中)
営業時間9:00〜17:00(入館は16:30まで)
※月曜日(祝日のときは翌日)、年末年始、展示替え期間は休館
料金一般400(300)円 
※特別展を除く  ※( )内は20名以上の団体料金
住所岡山県井原市井原町315
電話番号0866-62-8787
公式HPhttp://www.city.ibara.okayama.jp/denchu_museum/




足立美術館


足立美術館
出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

島根県にある足立美術館では、平櫛田中による仏教彫刻の真骨頂ともいわれる『維摩一黙(ゆいまいちもく)』が観賞できます。「維摩」とは釈迦の弟子の名前であり、「維摩一黙」とは「たくさん喋るよりも沈黙のほうが勝る」という意味の言葉です。

足立美術館では平櫛田中と同時代に活躍し、岡倉天心の残した日本美術院の再興のためにともに立ち上がった仲間である横山大観の作品を、多く所蔵しています。平櫛田中の生きた明治から大正にかけての空気感を肌で感じられる美術館です。


名称足立美術館
営業時間4月ー9月 9:00〜17:30
10月ー3月 9:00〜17:00 ※展示替え期間は休館
料金大人2,300(1900)円、大学生1,800(1,500)円、
高校生1,000(800)円、小中生500(400)円
※( )内は20名以上の団体料金
住所島根県安来市古川町320
電話番号0854-28-7111
公式HPhttps://www.adachi-museum.or.jp/




現在は非公開の平櫛田中邸もゆかりのある施設



平櫛田中が最晩年を過ごした東京都小平市の自宅は小平市平櫛田中彫刻美術館として公開されていますが、彼がそれまでに約50年間住んでいた東京都台東区の住宅は、いまも谷中霊園のほとりに静かに建っています。

1919(大正8)年、経済的に苦しかった若き日の平櫛田中を助ける形で、同じ日本美術院のメンバーであった横山大観や下村観山らが台東区の上野桜木にアトリエを設けます。その3年後、家族と暮らすための住居をアトリエと同じ敷地内に建てました。

平櫛田中は、小平市に引っ越すときにこの建物を出身地である岡山県井原市に寄贈しました。現在この建物は通常非公開となっていますが、井原市の許可を得た台東区のNPOなどが管理運営に努めています。

NPO法人たいとう歴史都市研究会の公式サイトはこちら



平櫛田中(ひらくしでんちゅう)の略歴



それでは、美術館に行く前に平櫛田中の略歴を少しさらっておきましょう。平櫛田中の歩みを押さえておくことで、作品の魅力をより深く感じ取ることができます。



1893年:大阪の人形師である中谷省古の元で修行を行い、木彫作品を制作する



1872(明治5)年6月30日、平櫛田中は岡山県後月郡西江原村(現在の井原市西江原町)に生まれました。1882(明治15)年に広島県沼隈郡今津村(現在の福山市今津町)にある平櫛家の養子になりました。

平櫛田中は、1893(明治26)年に大阪の人形師、中谷省古に弟子入りして木彫技術を学びます。さらに、1897(明治30)年に上京して彫刻家の高村光雲からも木彫を学びました。



1907年:「岡倉天心像」のモデルとなる生涯の師、東京美術学校を創立した岡倉天心に師事する



1907(明治40)年、平櫛田中は岡倉天心の指導を受け始めました。岡倉天心とは、アーネスト・フェロノサとともに東京美術学校(現在は東京音楽学校と合併して東京藝術大学)を創立した思想家です。

翌年の1908(明治41)年、平櫛田中は岡倉天心の指導のもとで山崎朝雲(ちょううん)、米原雲海らとともに日本彫刻会を結成しました。また、同年に開催された日本彫刻界会第1回展において、平櫛田中の仏教的テーマを取り扱った作品『活人箭(かつじんせん)』が岡倉天心に認められます。

平櫛田中は終生、岡倉天心を心の師として仰ぎました。1913(大正2)年に岡倉天心がこの世を去ってからも、平櫛田中は天心の創設した日本美術院の再興に参加し、彫刻部の同人として活躍します。1931(昭和6)年には「岡倉天心像」を制作し、この像は現在も東京藝術大学の構内六角堂に安置されています。



1937年:帝国芸術院会員となり、のちに東京藝術大学の教授として教壇に立つ


東京藝術大学美術学部正門
東京藝術大学美術学部正門、奥は大学美術館
出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

1937(昭和12)年に帝国芸術院の会員になった平櫛田中は、1944(昭和19)年に東京美術学校の教授として招かれました。さらに、1944年には、皇室の美術・工芸品の制作を行う帝室技芸員にも選ばれています。1949(昭和24)年、平櫛田中は東京美術学校と東京音楽学校が包括された新制大学、東京藝術大学の教授になりました。

1958(昭和33)年、6代目尾上菊五郎(おのえきくごろう)をモデルに制作した大作『鏡獅子』を、戦中のブランクも含めて20年がかりで完成させます。平櫛田中は1962(昭和37)年に文化勲章を受章し、1965(昭和40)年には東京藝術大学の名誉教授となりました。



1971年:田中の出身地である井原市が主催し平櫛田中賞を設ける



1971(昭和46)年、平櫛田中の出身地である岡山県井原市で、「平櫛田中賞」が設けられます。この賞は、平櫛田中が百寿の記念に彫刻界の発展を祈って寄附した浄財をもって設立されました。

平櫛田中は、100歳を超えても精力的に創作を続け、1979(昭和54)年に108歳(数え年)で亡くなりました。これは、当時の男性における長寿日本一として記録されています。10年前に家族で移り住み、そして自らの死を迎えた平櫛田中の小平市の自宅は、現在小平市平櫛田中彫刻美術館として公開され、多くの人々から親しまれています。


平櫛田中の代表作品



平櫛田中の作品のなかでも代表的なものを3つ厳選して紹介します。



鏡獅子|1958年


春興鏡獅子の団扇絵
春興鏡獅子の団扇絵
出典元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

1958(昭和33)年に制作された『鏡獅子』は、先述の通り20年以上もかかって制作された大作です。多くの試作を経て完成した『鏡獅子』は、現在東京都千代田区にある国立劇場に展示されています。

『鏡獅子』は、歌舞伎舞踊「春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)」の略称で、6代目尾上菊五郎をモデルに制作されました。国立劇場の『鏡獅子』はヒノキの寄せ木でできた非常に迫力のある木彫作品で、高さは約2mもあり、重さは像だけで225kgにもなります。『鏡獅子』のために制作された多くの試作は、さまざまな美術館に収蔵されています。



転生|1920年



『転生』は、1920(大正9)年の作品で、不動明王のような人物がうつむき加減になり思いっきり舌を出している様子が表現されています。平櫛田中が小さい頃に聞いた「生ぬるいものは鬼も喰わない、喰うには喰ったが、気持ちが悪くさすがの鬼も吐き出してしまう」という話からインスピレーションを得て制作されました。

小平市平櫛田中彫刻美術館や井原市立田中美術館ではブロンズの、東京藝術大学大学美術館では木彫の『転生』を観賞できます。



五浦釣人|1930年



『五浦釣人』は、茨城県北茨城市の五浦(いづら)という海岸で、岡倉天心が釣りに出かける様子を撮影した写真をもとに制作されました。平櫛田中は、敬愛する岡倉天心をモデルとした作品をたくさん制作しており、『五浦釣人』もそのうちの一つです。

また、平櫛田中は岡倉天心17回忌の『五浦釣人』(1930年)以来、繰り返し釣り姿の天心を制作しました。井原市立田中美術館や福山駅前で『五浦釣人』のブロンズ彫刻を観賞できます。茨城県の五浦美術文化研究所では、1962(昭和37)年に制作された木彫の『五浦釣人』が保存されています。



平櫛田中の作風や座右の銘「いまやらねば」について



平櫛田中の作品は、優れたテクニックにもとづく写実的な作風で人気を集めています。伝統的な木彫技術と西洋の彫塑(ちょうそ)におけるテクニックの融合により表現された平櫛田中の作品は、近代彫刻の巨匠と呼ばれるにふさわしい彼独自の世界観を生み出すことに成功しました。

また、平櫛田中の作品からは「いまやらねば いつできる わしがやらねば たれがやる」という彼の座右の銘からうかがえるエネルギッシュな一面や、よき家庭人として子どもを大切にした優しい人柄も垣間見えます。そういったところも、平櫛田中の作品が愛される理由の一つになっているといえるでしょう。



平櫛田中の略歴や代表作品まとめ



平櫛田中は、岡倉天心を心の師と仰いで真摯に彫刻と向き合い、貧しく苦しい時代を乗り越えて、やがては近代彫刻の巨匠とまで呼ばれるにいたりました。『鏡獅子』『転生』『五浦釣人』などの代表作品からは、平櫛田中の作品ならでは大胆さと繊細さが同時に感じられるでしょう。

今回紹介した三つの美術館は、どれも個性的で魅力がいっぱいです。平櫛田中の住居を利用して公開される小平市平櫛田中彫刻美術館、平櫛田中の作品を幅広く収蔵している井原市立田中美術館、大正から昭和にかけての芸術が肌で感じられる足立美術館では、平櫛田中の作品を間近で楽しむことができます。

ぜひ訪れて、平櫛田中の迫力ある作品を生で体感してみてくださいね。



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