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板谷波山の代表作品を紹介|幻想的な焼き物や代表作品、買取相場を解説

板谷波山(いたや はざん)は、戦前から昭和中期を中心に活躍した日本の陶芸家です。彼はこれまで職人の座であった陶芸家の存在を、芸術家の地位として登場させた、北大路魯山人と並ぶ近代日本陶芸のパイオニア的存在です。

特定の師を持たず、独学で陶芸を学んだ板谷波山ゆえ、西洋と東洋を折衷させた作風や彫刻を学んでいたバックグラウンドを活かしたリアリティや立体感のあるユニークなデザインが評価に繋がっています。買取価格は1,000万円をゆうに超える作品もあり、今後もさらに注目されそうな陶芸家と言えるでしょう。



板谷波山の代表作品を解説


ここでは、板谷波山の代表作品である「葆光彩磁珍果文花瓶(ほこうさいじちんかもん)」や「元禄美人(げんろくびじん)」、「彩磁蕗葉文大花瓶(さいじふきはもん)」を解説します。日本の陶芸を手仕事から芸術として発展させた彼の技量をうかがい知れるでしょう。


葆光彩磁珍果文花瓶(ほこうさいじちんかもん)


「葆光彩磁珍果文花瓶」は、胴が張った形の器に吉祥画題の桃が描かれている作品です。中国的なデザインのように思えますが、西洋の静物画を彷彿させる繊細なデザインとも考えられ、和洋折衷が見事に表現されています。

この作品は、近代の陶磁器で初めて国の重要文化財に指定されました。また、日本美術協会で最高賞も受賞した優品です。また、タイトルの「葆光彩」とは、釉薬の下の素地に直接絵の具を染み込ませる技法「釉下彩(ゆうかさい)」のひとつです。この技法によって幻想的な色彩を表現でき、作品の繊細なデザインを引き立たせています。


元禄美人(げんろくびじん)


「元禄美人」は、板谷波山が東京美術学校で習得した彫刻技術を活かした彫刻作品です。この作品は彼が「波山」を名乗る前に制作されたもので、写実的でなおかつダイナミックな女性像です。また、感情ですら読み取れてしまうほど、リアルな表現がされているのも特徴です。

彫刻作品とは思えないほど繊細な表現で精巧に作られています。彼が幼少期に厳しく育った影響もあるのでしょうか。その経験で培われたであろう繊細さやものを見る目のリアルさが伝わります。


彩磁蕗葉文大花瓶(さいじふきはもん)


「彩磁蕗葉文大花瓶」は、板谷波山が制作した作品の中でも最も大きな作品で、77センチもの高さがあります。緻密に葉脈が彫り込まれたフキの葉が描かれており、リアルな植物と思えるほど繊細なデザインとなっています。

青々したみずみずしいフキの葉が非常に繊細で、作品のボリュームも相まって見るものを圧倒させます。陶芸家以前には彫刻を習っていたこともあり、立体感や写実的な表現手法が作品からも読み取れるでしょう。



板谷波山の経歴


板谷波山は、1872年に茨城県に生まれ、戦前から戦後にかけて活躍した陶芸家です。1960年には人間国宝として選ばれました。日本の美術史の中でも陶芸家は近代に登場した存在であり、「職人」としてでなく「芸術家」としてその名を知らしめ、近代陶芸のパイオニア的存在として知られています。


1872年:真壁郡下館(現在の茨城県筑西市)に生まれる


板谷波山は、1872年に現在の茨城県筑西市である真壁郡下館町の商家に生まれました。彼の母は大変厳しく、人の嫌がる仕事を積極的にすることを彼に伝えました。そのため、彼は毎日掃除をして冬でも冷たい水を使って雑巾掛けしていました。

そのような幼少期を経て、板谷波山は小学生の頃より軍人に憧れるようになりました。卒業後は軍人を目指して上京するものの、陸軍士官学校の検査で失格となってしまい、軍人になることを諦めざるを得なくなりました。


1894年:東京美術学校を卒業


軍人となることを諦めた板谷波山は、国のために尽くせないのであれば自分のために尽くそうと考えるようになり、小さな頃より得意だった絵画を学ぶことになりました。そして、東京美術学校(現在の東京芸術大学)彫刻科に入学し、1894年に同校を卒業します。

卒業後の板谷波山は、先輩に誘われて石川県工業学校の講師となりました。そこで彼は焼き物の勉強に励み、さまざまな焼き物の産地を訪れながら技術を学びました。そして、1903年に講師を辞め、東京に移住し、貧しさのどん底となりながらも東京の田端に窯を作り上げていきました。


1914年:葆光彩磁の試作が始まってから3年、後援会の設立や彩磁花瓶を宮内庁が買い上げるほどの作品を制作する


板谷波山が東京の田端に作った窯はとても大きなもので、多くの時間を費やしたものの、素晴らしい作品となりました。その作品が評価されてついに内国勧業博覧会に入賞、その後全国窯業大会では一等賞を獲得しました。

また、1914年に開催された東京大正博覧会に出展された「彩磁花瓶」は、宮内省(現在の宮内庁)が買い取るほど評価された作品となりました。その後も1917年に開催された第57回日本美術協会展では「珍果花文花瓶」が同展最高の賞を受賞するなど評価が高まっていきました。


1953年:陶芸家として初めて文化勲章を受章。翌年には茨城県名誉県民に


さまざまな賞を受賞した板谷波山は、1929年に帝国美術院会員に、1934年には帝室技芸員となるなど日本の美術界の重鎮と言えるような存在となりました。当時の日本美術を牽引する作家たちのほとんどは師匠を持つなかで、彼は自らの学びによってその技を深めています。まさに彼は実力者と言えるでしょう。

戦後の板谷波山は、1953年に文化勲章を受賞しました。文化勲章を受賞した陶芸家は彼が初めての人物でした。そして1954年には茨城県名誉県民として選出されました。


1960年:重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定されるが辞退


1960年に板谷波山は、人間国宝の候補となるものの辞退しました。その背景としては「自分は単なる伝統文化の継承者ではなく、芸術家である」というプライドがあったためと言われています。

高齢となった板谷波山は、長年の助手であった存在を亡くし、彼自身も精神的なダメージを受けたと言われています。その後、病を患い、助手の死後ほどなくして彼自身も逝去しました。彼は晩年まで制作を続け、とりわけ晩年作品である「椿文茶碗」は彼の技巧が衰えていないことが分かる作品となっています。



板谷波山の作品の世界観


板谷波山の作品は、青磁、白磁、彩磁いずれも造形や色彩に完璧を期した格調の高いものとなっています。また、デザインも特徴的で、陶芸家の中でもいち早く西洋のアール・ヌーヴォー様式を取り入れています。著名作品「葆光彩磁珍果文花瓶」からも分かるように東洋的な作風と西洋的な作風を混合させた和洋折衷のスタイルが評価にも繋がっています。特定の師を持たず、独学によって陶芸を学んだ彼ゆえの視点で制作された作品群は、日本の近代陶芸界を揺るがしました。

また、板谷波山の作品の特徴として挙げられるのは写実性です。彫刻を習っていたこともあり、リアリティのある表現が優れています。陶磁器に描かれたデザインは写実的で立体感がありつつも立体的で、技量に研鑽を重ねていることが分かるでしょう。



板谷波山の作品が鑑賞可能な美術館・博物館


板谷波山の作品が鑑賞できる美術館は、茨城県の板谷波山記念館や東京・六本木の泉屋博古館です。板谷波山記念館では彼の生涯を細かく知れます。また、泉屋博古館では企画展や常設展にて、同館が収蔵する彼の作品を見られるでしょう。


板谷波山記念館


板谷波山記念館は、彼の生涯とその作品にフォーカスした記念館です。そのため、彼についてもっと詳しく知りたい、もしくは研究をしたい方にとっておすすめの場所です。

住所:〒308-0021 茨城県筑西市甲866
アクセス:
水戸線下館駅より徒歩10分
営業時間:10:00〜18:00(入館は17:30まで)
料金:210円(団体は160円)
高校生以下は無料
公式HP:https://www.itayahazan.jp/


泉屋博古館|東京


泉屋博古館は住友コレクションをはじめとした日本や中国の美術にフォーカスした企画展を開催する美術館です。2022年11月から板谷波山についての企画展が開催されました。

住所:〒106-0032 東京都港区六本木1丁目5−1
アクセス:
東京メトロ南北線六本木一丁目駅より徒歩10分
営業時間:11:00〜18:00(入館は17:30まで)
料金:1000円(特別展は1500円)
公式HP:https://sen-oku.or.jp/tokyo/



板谷波山の作品の買取相場


板谷波山は、北大路魯山人と並んで日本の近代陶芸の巨匠と言える存在です。買取価格は1,000万円を超える可能性もある作家です。1,000万円を超える作品は、美術館に並ぶ作品と同様の保存状態であったり、有名作品であることが条件だと言えるでしょう。

また、その他の板谷波山の作品の買取相場は、市場に流通しているものでは数十万円〜数百万円前後が多く見受けられます。そもそも市場にて出回っている作品が少ないのが現状です。保存状態が買取価格に影響します。



板谷波山に関する豆知識(トリビア)


ここでは、板谷波山に関するトリビアを紹介します。彼は制作を全て1人でこなしていた訳ではありませんでした。そこには妻のまるや、弟子たちの存在が関わっています。弟子の中には後の日本陶芸界を牽引する作家も多くいます。


板谷波山の妻 まるは一番のコンビであり、立役者であった


板谷波山の妻・まるは陶芸家である彼を支えた一番の立役者でした。彼が独立して東京に越した頃、非常に貧乏な生活のなかで窯を制作していました。そこでは彼が1895年に結婚した妻も協力し、とても大きな窯を制作できました。

まるは共立女子職業学校(現在の共立女子大学)の一期生で、日本画や陶磁器の制作をするほかには板谷波山がが金沢に赴任していた際には会津で裁縫学校を主宰するなど行動力のあった人物だったそうです。ストイックな彼には、並はずれた行動力を持つまるの存在が不可欠だったのでしょう。


板谷波山の弟子にはは河井寛次郎と濱田庄司がいる


板谷波山には河井寛次郎や濱田庄司といった後の日本の陶芸界に名を残す巨匠の弟子がいました。というのも、1960年に人間国宝に指定されるものの辞退した板谷波山は、芸術家としてのプライドを持っていたため、伝承を嫌い、弟子を取らなかったようです。

しかし、そのような中でも板谷波山は気に入った人物を弟子として取っていたようで、その中には河井寛次郎や濱田庄司といった名だたる人物もいます。彼らも板谷波山と同様に、日本の近代陶芸界を牽引する存在となりました。



板谷波山の作品買取なら株式会社獏へご相談ください。


板谷波山は、これまで職人の技として考えられていた陶芸界において、芸術家としての地位を築いた日本の近代陶芸のパイオニア的存在です。西洋と東洋の作風を混合させたスタイルであったり、彫刻を応用したリアリティある表現は、独学で陶芸を学んだ彼にしか出来なかったわざでしょう。

当店では現在板谷波山作品の買取を強化しています。アート作品は価値の判断が難しいため、スタッフが念入りに査定いたします。また、陶芸作品だけでなく、茶道具や絵画など幅広く買取いたします。買取の流れや買取実績、ご不明点などございましたらお気軽にお問い合わせください。板谷波山_top

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