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ルーシー・リーの陶芸作品の買取価格とポイント

ルーシー・リー

1902年〜1995年 物故作家。
ウィーン生まれ。ユダヤ人家庭で育ち、ウィーン工業美術学校でミヒャエル・ポヴォルニーに陶芸を学ぶ。1935年にブリュッセル万国博覧会、1936年にミラノ・トリエンナーレ、1937年にパリ万国博覧会で銀メダルなど、作家として高い評価を得る。1938年にナチスによるオーストリア併合後、イギリスに移住する。1946年にハンス・コパーが工房に参加する。1951年にロンドンのバークレー・ギャラリーでハンス・コパーと共同展を開催する。1960年から72年までキャンバーウェル・カレッジ・オブ・アーツで教鞭を執る。1964年に東京の国際陶芸展に参加する。1969年にロンドンの王立芸術学院より名誉博士号を授与される。1972年にハンブルク美術工芸博物館で展覧会を開催する。1989年に大阪市立東洋陶磁美術館で個展を開催する。1991年に大英帝国二等勲爵士の称号を贈られる。1994年にニューヨーク・メトロポリタン美術館でハンス・コパーとの共同展を開催する。

ルーシー・リーの作品の買取ポイント

ルーシー・リーの作風

電気式陶芸窯から生み出されるその軽く薄い作風に対しては、強い火と土窯から生まれる日本風の重厚なものに強く傾倒していたバーナード・リーチから手厳しい批評をされた事で有名です。戦前のウィーン時代は多くの実績を残していましたが、ロンドンに移ってからは作家として苦しい時代が続きました。しかしながら、独自の方向性を大きくは変えることなく、象嵌や掻き落しによる線描や釉薬を組み合わせ、繊細で上品な作風を確立しました。1967年にアーツ・カウンシルにより開催された回顧展によって、国内のみならず、海外にも及ぶようになりました。当時のイギリスでトレンドであったバーナード・リーチ風のスタイルに対する違いを明確にしたとされています。

ルーシー・リーの現在の評価と価値

世界的な作家であり、日本国内でも人気を博しました。没後20年以上経過する現在でも需要が高い作家のひとりです。買取金額は数十万円台から100万円以上と様々で、国内でのマーケットには流通量が多くなく、希少な作品と言えます。繊細な作品が多いためコンディション等には注意が必要です。ルーシー・リー作品のご売却をご検討の際は、お気軽にご相談ください。

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ルーシー・リーのボタンとは

戦時中にウィーンからロンドンに移住し、そこでアトリエを構えるもイギリス国内ではまた知名度の低かったルーシー・リーは、服飾業界からの依頼でボタンの制作を始めました。轆轤や石膏型を作って成形し、様々な釉薬で着色・彩色を試みており、彼女のボタン工場は戦後も非常に活気あふれる場所でした。その当時アシスタントで雇ったのがハンス・コパーであり、彼はその後ルーシーにとっての唯一無二のパートナーになります。

戦後にボタン制作は縮小し陶器制作に力を入れていくことになるのですが、彼女のボタンの人気は非常に高く、また日本国内でも大きな影響力を持ち、デザイナーの三宅一生は彼女のボタンを使った服を1989-90年秋冬コレクションで発表して話題となりました。同年「現代イギリス陶芸家 ルーシー・リー展」を企画・監修し96点の作品を紹介し、建築家の安藤忠雄が展示場の空間デザインを手がけ、日本国内での評価を確固たるものにしました。

ルーシー・リーの代表作品

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