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洋画家 平野遼

平野遼

1927年〜1992年 物故作家。
大分県生まれ。生後間もなく福岡県八幡市(現在の北九州市八幡東区)に転居する。1940年の徴兵令により若松造船所で働く。1945年の終戦後は各地を転々とする。1949年に上京し、宮脇繁と出会う。1950年に北九州に戻るが翌年再度上京する。1959年に自由美術協会会員に推挙され、1962年に第五回安井賞候補新人展に出品する。1964年に自由美術協会を退会する。森芳雄らと主体美術協会の創立に参加する。1974年に初のヨーロッパ旅行を経験する。1975年に主体美術協会を退会する。1987年に北九州市立美術館にて「平野遼の世界展」を開催する。西日本文化賞を受賞する。享年65歳。代表作に<昼と夜><裸形の風景>がある。

絵画買取のポイント

平野遼の作風について
平野遼といえば、<人物>か<風景>を題材にした絵画作品ではないでしょうか。
闇の中に光を見る画家にふさわしく、作品は漆黒の闇に包まれています。油断していると作品の中に引き込まれてしまいそうな緊張感があります。芸術作品の一般論としては美しく、華やかで、分かりやすいものを求めがちですが、鑑賞者の想いを断ち切る芯の強さを感じます。まるで美しいだけが絵画・芸術作品ではないと鑑賞者に投げかけているかのようです。
平野遼は生前このような言葉を残しました。
「人の顔は男でも女でも奥からつきあげてくるものがある。それを表現するのだ」と。人物というものに興味があり、見る人を喜ばせたり楽しくさせたりする作品ではありませんが、ありのままの姿を画面に写し取っていたのでしょう。肉体の下に隠されている目では見ることが出来ない感情を闇の中に表しており、人間の本質を表現してきたと言えるのではないでしょうか。

平野遼の買取について
高価買取のポイントは<トーン>でしょう。
暗すぎても明るすぎてもいけません。平野遼の作品は第一印象がすごく重要な作家だと思います。写実画のように技術力や細部を見て評価する作風ではありませんので、作品本来のもつパワーが大事です。平野遼が残した作品の殆どは人物画や風景画になりますが、近年モチーフによる優劣は少ない印象です。技法により評価額が異なります。順に見ていきましょう。

@ 油絵
キャンバスに油彩の作品が最も評価が高いです。上記で述べたような雰囲気の良し悪し、サイズやコンディションにより決定します。

A 水彩
紙に水彩画で描かれている作品は油絵作品に比べて評価が下がります。世間では油絵の下絵みたいな認識があるのと、素材の耐久性を考慮すると厳しく評価せざる得ないです。

買取の注意点
油絵は湿気等によりワレやカビがでる場合があります。水彩もシミが出やすいです。絵画のコンディションにより評価が変わりますので、現物の確認後に最終的な判断をさせていただきます。
現在、所定鑑定機関は<日本洋画商協同組合鑑定登録委員会>になりますが、鑑定書が無くても買取は可能となります。お気軽にご相談ください。


絵画の買取について詳しくみる

平野遼の作品

作品名

■子供(油絵)
平野遼らしい作品です。もう少しトーンが暗く、赤などの色があると評価が上がります。

作品名

■幼女(油絵)
平野遼の独特な世界観を表しています。もう少し具象で差し色があると良いです。

作品名

■無題(水彩)
シンプルなタッチながら、平野遼の作品と分かります。

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