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因藤壽の買取価格とポイント

因藤壽

1925年〜2009年 物故作家。
北海道稚内市に生まれる。1942年、北海道庁立苫小牧工業学校本科電気科(現在の北道道苫小牧工業高等学校)を卒業。そのあと北海道大学超短波研究所に勤務しながら、戦後の混乱期に独学で絵画を制作。1947年頃からクレヨン画を描き始め、喜茂別や倶知安の中学校教員に転身する。道内の美術展へ出品し、二科九室会にも所属。1950年、第2回読売アンデパンダン展へ出品後、1956年頃からモノクローム表現の作品が増える。1963年に埼玉県大宮市へ移住。1970年代から、紫の絵具を塗り重ねる独自の手法で個性的な世界観を表現。2002年、北海道立旭川美術館で回顧展が開催される。

フィリピン出身のシンガーソングライター:ノー・ロームは因藤壽に憧れを持ち、初めてのEP(音楽作品)のタイトルに彼の名前に由来した言葉を使っている。さらにスリーピースロックバンド:BBHFの「BBHF1 -南下する青年-」のアートワークでは、メンバー3人が絶賛する「麦ふみ」を採用。それをきっかけとして若い世代に知られ、過去の作品も注目されている。

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因藤壽の作品の買取ポイント

因藤壽の作風

モノクローム作品は一見すると色を塗り重ねただけのように映りますが、幾何学模様や凸凹、光りの当たり具合による陰影で1つとして同じ作品はありません。描かれるのは黒・赤・青紫・グレーなどが多く、緑や白で表現されているアートもあります。油彩画の他ガッシュ・クレヨンで描かれた芸術性あふれる作品は、内なる感性を呼び覚ましてくれるでしょう。初期に発表された「病む人」や「鳥」、「スミドロンのアクロバット」や「ガボ」は色彩が多く抽象的モチーフも目立ちます。この時期の作品は、風刺画のように洗練されたデザインと鮮やかさが魅力です。

モノクローム作品を生み出すようになったきっかけは明かされていませんが、目の前に現れた出来事だけでは、心の奥底にある世界を表現できないと感じたからかもしれません。色合いは同じでも、そのときに置かれた自分の立場によって物事の受け止め方は変わります。彼の心にはモノクロームでしか表せない感情があり、それをキャンバスへ向けていたのでしょう。そのため「クリマ」や「work」などタイトルが付けられている作品もありますが、多くは名前もなく制作された年代と日付が刻まれています。

因藤壽の現在の評価と価値

画家活動は長期に及ぶも量産するタイプではないため、作品自体はそれほど多くありません。画集「精神の痕跡-その深遠なる時空を求めて」でも紹介されているように、初期の作品から近代までをまとめて約90点が発表されています。作品は北海道立旭川美術館・北海道立近代美術館・埼玉県立近代美術館・国立国際美術館に所蔵されている他、美術愛好家やコレクターの間では話題となっているでしょう。1986年に発表された「直視せよ そこに伺い そこに問うもの」はモノクロームの画に言葉が添えられた珍しい作品で、静かな気迫さえ感じられその重厚さが高評価を得ています。初期の作品は年齢を問わず人気もあり、モノクローム作品はコアなファン層に支持されているでしょう。

決められた枠の外にある芸術は、人によって印象も異なります。特にモノクローム作品は心に訴えかける芸術ですが、場合によっては理解や共感が難しいかもしれません。哲学的な表現の先にある色は、様々な人生を乗り越えた人にこそ感じられるアートです。その逆で「鳥とミノトール」や「こんばんは」など鮮明な作品は若い世代にも好まれ、アーティスト志向のモノクローム作品も含め熱い視線が注がれています。

スタイリッシュな作品を求める人は多いので、時代とマッチして需要も高まっていくでしょう。
作品のご売却をご検討される場合は、遠慮なくご相談ください。

因藤壽の代表作品

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