ポール・デルヴォー|版画買取や美術品買取なら東京都大田区の株式会社獏

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ポール・デルヴォーの版画の買取価格とポイント

ポール・デルヴォー

1897年〜1994年 物故作家。
リエージュ州アンテイトに生まれる。ブリュッセルの王立美術アカデミーの建築学科で学ぶ。次第に建築の勉強よりも絵画を描く事を優先させる1924年に卒業し、後期印象派のグループ「ル・シオン」の展覧会に出品する。1936年にブリュッセルで個展を開催する。翌年にはシュザンヌ・ピュルナルと結婚する。1944年に占領下のブリュッセルを逃れ、郊外に移る。戦後、1950年にブリュッセルの国立美術建築学校の絵画部門の教授に任命され、1962年まで教鞭をとる。1961年に日本国際美術展の特別展示『ベルギー絵画の10年展』に出品する。1965年にベルギーの王立美術学校の美術部門の長に任命される。1973年にオランダのレンブラント賞を受賞する。76年にはフランス政府からレジオン・ドヌール勲章が授与される。1982年、ベルギーにデルヴォー美術館が開館する。(美術館の公式HP

ポール・デルヴォーの作品の買取ポイント

ポール・デルヴォーの作風

ベルギー出身のシュルレアリストとして有名です。初期は印象派的な様式で作品を制作していましたが、シュルレアリスト作家のキリコやマグリットに影響を受けてデルヴォーらしい作品へ移行しました。1940年代の初めに描かれた作品が最も評価され、晩年に向かうにつれて同じテーマやモチーフの繰り返しが多いと指摘されています。シュルレアリスト特有の独特な世界観に、少しエロティックな要素が印象的で、このようなヌード作品が市場に受け入れられています。
デルヴォーが生み出した作品は彼の感情が現れ、優雅な色彩と一体となった雰囲気は鑑賞者に強く訴えかけるものがあります。

ポール・デルヴォーの現在の評価と価格相場

没後20年以上経過していますが、シュルレアリスト作家の一員として人気が高い作家です。作風の所で述べさせていただきましたが、エロティックなヌード作品が良いとされ、シンプルな構図よりも多数のモチーフが複雑に組み合わされた作品が高価格帯につながります。
国内で流通している作品の多くは版画で制作されたものです。油絵などの原画作品は非常に少ないと言えるでしょう。
版画作品の買取金額は数万円台から10万円以上と様々で、図柄も重要ですがサイズが大きいほど評価が高くなる傾向です。ポール・デルヴォーの版画作品の売却をご検討の際は、お気軽にご相談ください。

版画の買取について詳しくみる

ポール・デルヴォーは
シュルレアリスム絵画に大きく影響を受けた

デルヴォーは1897年ベルギー東部リエージュ州で裕福なブルジョア家庭に生まれました。厳格な両親、特に母親に溺愛され続けたと言います。小さい頃から神話の絵を描くのが好きだったデルヴォーは、作品を認められて画家になる決心をします。
1920〜1930年代はベルギー表現主義の流行もあり、デルヴォーはフランネルの印象派画家に強く影響を受けていましたが、1933年ごろにジョルジュ・デ・キリコの形而上絵画に影響を受けた絵画スタイルへと移り変わっていきます。
1930年代中ごろ、デルヴォーは友人のルネ・マグリットのスタイル・デペイズマン表現を自分でも利用するようになり、シュルレアリスム画家として名を知られていくようになります。
幼い頃からの母親からの抑圧、憧れを抱いていた汽車、子供の頃に夢中になったジュール・ベルヌ、引き裂かれた女性タムへの愛などがデルヴォーの作品を形作っており、両親が亡くなってからは「死」という概念として骸骨もよく登場するようになります。
一見不思議な作品に見えても、そこにはデルヴォーの数えききれないほどの感情と想い出が潜んでいるのです。

京都国立近代美術館で過去に展覧会
「ポール・デルヴォー展」が開催

京都国立近代美術館ではポール・デルヴォー展が開催され、多くの人が鑑賞に訪れました。

ポール・デルヴォーの代表作品

  • 作品 リトグラフ

    ■作品(リトグラフ)
  • 帽子 リトグラフ

    ■帽子(リトグラフ)
  • アンヌ リトグラフ

    ■アンヌ(リトグラフ)

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