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平野富山の評価と買取金額

平野富山

1911年〜1989年 物故作家。
富山県に生まれる。そのあと静岡県清水市へ移住し、1928年、18歳で彫刻家を目指して上京、人形師:池野哲仙の弟子となる。1941年に齋藤素巖へ弟子入りし、構造社研究所で彫塑を学ぶ。1943年、第6回新文展へ「想姿」を初出品して初入選。1953年に第9回日展へ「青年」を出品して入選、1956年に第12回日展で「若人」を発表して特選を得た。1958年、国立劇場にある平櫛田中の「鏡獅子」を彩色。その3年後、太平洋美術展へ出品して文部大臣奨励賞を受賞する。1962年に新日展審査員、1963年に新日展会員へ選任。1966年・1969年・1971年、彫刻研修としてヨーロッパを訪れ美術館を巡った。

1981年に「平野富山木彫作品集」を出版。その翌年、「平野富山木彫展」を開催、1983年に日本橋の高島屋で個展を開く。1984年、大阪で「彩色木彫50年の歩み平野富山展」を開催。生前における最後の個展としては、駿府博物館で「平野富山彩色木彫回顧展」が開催される。他界後は、日本橋の高島屋で遺作展覧会が催された。



買取ポイント

平野富山の作風

平野富山は彩色木彫の名人です。「大黒天像」や「桃太郎の鬼退治」、「弁財天像」や「聖徳太子孝養之像」など、驚くほど精工に造られた木彫りへ彩色し、美しい作品を仕上げています。モチーフの衣装はすべて木彫りですが、近くで眺めても木彫りとは気づけません。衣装のシワやたるみが見事に再現されているのは、彼の彫刻技術の高さと彩色によるものでしょう。「三輪雛」や「舞大黒」など鮮やかな彫刻から、紙塑人形の「虎」や「横綱牛」まで、多くの優れた作品を残しています。歌舞伎や能などの伝統文化、神話や歴史に登場する人物をモチーフとし、丁寧に彩られた作品はまさに近代芸術。「韋駄天童子」や「吉祥天」、身近に飾れる「彩色木彫福寿恵比寿大黒天尊像」は、豊かな感性を持つ彼だからこその作品です。

息を飲むのも忘れるくらい緻密な文様、真似ることのできない彩色技術は、2人の師匠から伝えられた「知識と経験のたまもの」と言えるのではないでしょうか。さらに彩色木彫だけでなく、「阿弥陀如来像」や「羽衣舞」など彫塑にも力を入れ、余すところなく才能を発揮。注目を集めるきっかけとなった平櫛田中の「鏡獅子」も、その彩色を担当して以降は平野富山が色をつけたと言われています。飾っているだけで福を招きそうな「布袋像」や「恵比寿像」など、彼が持つ木彫の世界は華やかな色に満ちているでしょう。

平野富山の現在の評価と価値

彩色木彫のクオリティは、海外でも高く評価されています。ただし、デビューしてから1936年までは「銕国」、1937年〜1975年までは「敬吉」を号とし、「富山」へ改めたのは1976年に入ってからです。そのため初期の作品は、「平野富山」として意識されてないかもしれません。素朴な「白羊童子」や「孫」、「宝珠咥龍」など偉人以外をモチーフとする彫刻では、制作された年月日もはっきりしない場合があります。ブロンズの「犬」やテラコッタの「裸婦像」など、有名な彩色木彫だけでなく彼が手がけた彫刻のすべては、公開されてない可能性を捨てきれないのです。歴史や時代背景に価値を置く中高年、見栄えする色鮮やかさに魅せられた若い世代、ファンやコレクターに親しまれる平野富山の作品は、昭和を愛する多くの人に支持されています。飾りやすいサイズ、明るい雰囲気に包まれた作品が多いため、今後も多くの需要を見込めるでしょう。
買取金額は数十万円から100万円を超える作品まで様々です。ご自宅に眠る作品をお持ちであれば、美術品買取専門店「獏」へお問い合わせください。

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