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彫刻・ブロンズ作家 北村西望

北村西望

1884年〜1987年 物故作家。
長崎県生まれ。1907年に京都市立美術工芸学校彫刻科を主席で卒業し、翌年第2回文展に初入選する。同年、東京美術学校(現東京藝術大学)彫刻科に入学し、1912年に卒業する。文展が帝展に改まった1919年第1回帝展以降は審査員を務める。1921年より母校の東京美術学校教授に就任し、翌1922年には彫刻研究のため西ケ原彫刻研究所を開設した。1925年には帝国美術院会員となり、1933年からは東邦彫塑院顧問を務めた。北村が指導し石原昂ら7人の彫刻家「報国芸術会」によって制作された戦没者7点の胸像が1939年3月19日、遊就館に献納される。このほか、大政翼賛会の会合にも芸術界の代表者として参加する。
晩年には、1953年に戦前より長く住んだ東京都北区から東京都武蔵野市に転居し、都立井の頭公園内に自身のアトリエを建立する。後に東京都にアトリエと制作した約350点にのぼる自作品を寄贈、それらは井の頭自然文化園彫刻館で展示された。なお寄贈した作品はその後も増加、最終的に約500点となっている。
生前最後の絶作は1987年1月、東京都板橋区役所新庁舎前に設置された「平和を祈る」であった。

買取ポイント

北村西望の作風

第二次世界大戦の前か後かで作風が変わった作家です。戦前の作品は「児玉源太郎大将騎馬像」、「山県有朋元帥騎馬像」など勇壮な男性像かつ戦意高揚を意図した作品を多く手がけていました。しかしながら、戦後になると彫刻モチーフは平和、自由、宗教に変化していきました。北村西望の代表作である長崎平和祈念像は、1951年より4年の歳月を費やして内外からの浄財3千万円を資金源として作成された青銅製10メートル弱の巨大男像であり、1955年に完成し同年8月8日、長崎平和公園に設置されています。また長崎原爆のみならず広島原爆の被害を受けた広島市の市民に対しても「飛躍」や平和観世音菩薩像など多くの平和祈念像を制作しているのは有名でしょう。

北村西望の現在の評価と価値

ブロンズ作家で最もご依頼をいただく作家です。ブロンズ作品は作品制作の性質から、一度型を作れば比較的容易に生産ができます。また、長崎平和公園に設置された像により、幅広い世代からの認知度が高く、干支のシリーズが数多く制作されました。そのため、作品の流通量は他の作家に比べて多いですが、干支などのシリーズは本人ではなく工房作品のような立ち位置のため、あまり評価は高くありません。
買取金額は数千円台から10万円以上と様々のため、北村西望の作品のご売却をご検討の際は、お気軽にご相談ください。

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