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柳原義達のブロンズの買取価格とポイント

柳原義達

1910年〜2004年 物故作家。
兵庫県神戸市に生まれる。当初は日本画家を目指すも、ロダンやブールデルに衝撃を受け彫刻家へ転向。1931年、東京美術学校彫刻科(現在の東京藝術大学)へ入学し、在学中に第13回帝展で「女の首」が入選を果たす。卒業したあと彫刻家:朝倉文夫へ弟子入りする。1939年に 新制作派協会彫刻部の創設へ参加し、1951年、第1回サンパウロ・ピエンナーレへ出品。日比谷公園野外彫刻展へ出品したことをきっかけとして、野外彫刻にも関わる。その活動のとおり、広島市平和大通りへ「ラ・パンセ」、仙台市青葉城址へ「伊達政宗立像」を設置。1952年から5年間、ヨーロッパに滞在。1956年に、第3回現代日本美術展で「高村光太郎賞」を受賞した。

1960年、「坐る」を発表。1961年に宇部市野外彫刻展、1965年に 第1回現代日本彫刻展へ出品。1970年、第2回神戸須磨離宮公園現代彫刻展で「兵庫県立近代美術館賞」を受賞し、日本大学芸術学部の主任教授へ選任される。4年後に第5回中原悌二郎賞へ「道標」
や「鳩」を出品し、大賞を獲得。1986年、長谷川仁記念賞を受賞した。1993年、81歳をすぎて「靴下をはく女」を発表。1996年に文化功労賞を受賞した。



買取ポイント

柳原義達の作風

東京美術学校を卒業したあと2.26事件や戦争が起こり、学徒出陣で亡くなった弟のこと、戦争の無意味さに気持ちを折られそうになりました。1946年、作品を預けていた家が火災に遭い、ほとんどの作品を焼失。柳原義達は取り巻かれる理不尽な環境と戦いながら、やり場のない不満や葛藤を彫刻へ向けたと言われています。様々な体験を乗り越えて再出発した彼は、「アンヌの首」や「犬の唄」、「婦人像」や「高瀬さんの首」など、生命力あふれる大胆な作品を残します。渡仏した際は、「黒人の女」「赤毛の女」「バルザックのモデルたりし男」を制作。これらは細かい表情ではなく、モチーフと空間のバランスを意識した彫刻です。

「道標」や「鳩」を発表した当時から、芸術家としての新しい領域へ入りました。1966年の「風と鴉」は第7回現代日本美術展へ出品した作品で、現在は神戸市役所のロビーへ設置されています。これは、神戸市動物愛護協会からの依頼。柳原義達は動物愛護の精神を感じるため、動物園や北海道へも足を伸ばしました。彼は実在するモチーフを作品へ写し、そこに新しい世界を造り上げる彫刻家だと言えるかもしれません。生前「彫刻は触覚空間の芸術」と発言したように、生きた証として様々な題材を作品へ仕上げています。


柳原義達の現在の評価と価値

柳原義達は膨大な作品を造りましたが、戦前に制作された彫刻は所在が明らかになっていません。特に女性像の彫刻は、現存するもので戦後フランスへ滞在して以降の作品です。戦渦に巻き込まれた紛失、混乱を極める中での盗難もあり、ひっそり個人で所有する場合もあると噂されています。そのため女性像が発見された場合は、高値がつけられるかもしれません。

「風の中の鴉」や「鳩」で代表されるように、彼の作品はほとんどが鳥。保健センターや市役所、公園などの公共施設に設置されており、その魅力を誰でも感じられます。その一方、道標シリーズの彫刻は手に入れることが難しい作品もあり、だからこそ価値を高くしています。特にデッサンや原型は、ブロンズに優るとも劣らないと評されているでしょう。

買取金額は数十万円から100万円を超える作品まで様々です。
柳原義達の作品のご売却をご検討の際は、美術品買取専門店「獏」へお問い合わせください。

柳原義達の作品

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