畦地梅太郎

畦地梅太郎の版画の
買取価格とポイント

1902年~1999年 物故作家
愛媛県宇和島市に生まれる。小学校卒業後奉公に出て、船員、石版印刷工などを経て、1920年に愛媛県から上京する。1926年には内閣印刷局に入局する。この頃から版画家・平塚運一、恩地孝四郎に学んで版画を始める。日本創作版画協会や国画会発表の場とし、1953年以降はサンパウロ・ビエンナーレ、ルガノ国際版画ビエンナーレ、東京国際ビエンナーレなど各種の国際展に招待出品する。2003年には愛媛県宇和島市に私設・畦地梅太郎記念美術館を開設。版画集「信濃」「山の呼ぶ声」などの他「北と南の対話」「山のえくぼ」「とぼとぼ六十年」など随想画文集も多数。
2023年に畦地梅太郎記念美術館で「畦地梅太郎記念美術館・井関邦三郎記念館 開館20周年記念特別展」が開催された。

畦地が生前創作に打ち込んだアトリエを
改装したギャラリーのHPはコチラ

畦地梅太郎の最新買取情報

  • 火の山の親子(木版画)

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  • 初冬の声(木版画)

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  • 鳥のこえ(木版画)

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  • ものの気配(木版画)

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畦地梅太郎の作品の買取ポイント

畦地梅太郎の作風|「山」「山男」などのシリーズ作品もある

「山の版画家」と呼ばれ、単純にして重厚、人間味豊かな作風が特徴的です。
極限までにシンプルにデザイン化された人物描写は一見イラストの様に見えるかもしれませんが、目で見えるものを写すだけが芸術作品ではないと教えられます。畦地が見た対象物は余分な部分をそぎ落とし、凝縮された作品として完成しています。

木版で摺られた木の温かみと、畦地が表現するシンプルな構成がマッチしています。近年ではアパレルのデザインなどに採用されるなど、芸術の枠を超えて広がりを見せています。

畦地梅太郎の現在の評価と価値

没後20年経過しても需要がある作家のひとりです。基本的に市場に流通している作品は木版画で、畦地梅太郎の作品は市場には数が出回っている印象、市場には数が出回っている印象です。そのため、希少性は高くなく落ち着いた相場で推移している印象です。

具体的な金額は、構図・サイズ・コンディション等により決まりますが、基本的に数万円台になる事が多いです。サイズが小さい、シミなどのダメージが発生していると数千円台の可能性もあり得ます。ご売却をご検討の際は、お気軽にお問い合わせください。

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畦地梅太郎記念美術館にて作品の鑑賞が可能

畦地梅太郎記念美術館・井関邦三郎記念館は、平成15年に名誉町民である畦地梅太郎と井関邦三郎を顕彰すると共に、地域文化の振興を目的として建設された、全国的にも珍しい道の駅に隣接した美術館です。
館内には、東京都町田市にあった生前のアトリエをそのまま再現したスペースもあり、ふとそこで制作している畦地の姿が見えるような穏やかな時間が流れています。およそ400点ほどの収蔵数があり、総合農機専業メーカーの井関農機の創始者である井関邦三郎の記念館も併設されています。

愛媛県宇和島市三間町にある
畦地梅太郎記念美術館・井関邦三郎記念館

畦地梅太郎の代表作品まとめ

  • 鳥と親子(版画)

  • 山のなかま(版画)

  • 山にむかう(版画)