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小杉放庵の作品が鑑賞できる美術館を紹介|代表作品や世界観も解説

小杉放庵は、1881年に日光で生まれた画家です。画業の初期ではフランスのアール・ヌーヴォーに影響を受けた西洋画を制作していましたが、フランス留学をきっかけに水墨画をはじめとした東洋画を描くようになり、和洋折衷の作風漂う作品を残しています。

彼の代表作品としては、東京大学の安田講堂内の壁画が挙げられます。日本美術院の西洋科の開設に協力するなど、近代日本画の発展に寄与した人物です。没後は故郷の日光市に小杉放庵記念日光美術館が開設されました。



小杉放庵の作品が常設展示されている美術館・博物館を紹介


ここでは、小杉放庵の作品が展示されている美術館や博物館を紹介します。小杉放庵を記念して開館した日光の小杉放庵記念日光美術館では、彼の画業に関する作品が展示されているほか、東京の出光美術館や東京国立近代美術館でも作品を鑑賞できます。


小杉放庵記念日光美術館


小杉放庵記念日光美術館は、「自然へのいつくしみ」をテーマに小杉放庵に関係する展覧会を開催しています。小杉放庵の画業にまつわる作品が展示され、彼について詳しく知りたいにおすすめしたい美術館です。また、彼以外の画家に関する展覧会も開催されており、2021年には「ねないこだれだ」の著者せなけいこについての展示がありました。

住所:〒321-1431 栃木県日光市山内2388-3
アクセス:
各線日光駅、東武日光駅より、東武バス「世界遺産めぐりバス」もしくは「奥細尾行」「清滝行」「中禅寺温泉行」「湯元温泉行」に乗り換え「神橋」下車、徒歩3分
営業時間:9:30〜17:00(入館は16:30まで可)
※金・土は10:00〜20:00
料金:
一般:730円(団体は650円)
大学生:460円(団体は460円)
18歳以下は無料
※企画展観覧料は内容によって異なる
公式HP:https://www.khmoan.jp/index.html


出光美術館


出光美術館では、「出光コレクション」として小杉放庵の作品である「天のうづめの命」「出関老子」「湧泉」「太宰帥大伴旅人卿讃酒像」といった、主に彼が日本画家に転向した後の作品が収蔵されています。また、2014年には出光美術館の館長による論文「小杉放菴の名勝画冊 - 石濤筆「黄山八勝画冊」の周辺」が公開され、Webでも閲覧できます。

住所:〒100-0005 東京都千代田区丸の内3-1-1
アクセス:
各線日比谷駅より徒歩3分
各線有楽町駅より徒歩5分
営業時間:10:00〜17:00(入館は16:30まで可)
料金:
一般:1,000円
高大生:800円
中学生以下は無料
※企画展観覧料は内容によって異なる
公式HP:http://idemitsu-museum.or.jp/


栃木県立美術館


栃木県は小杉放庵のゆかりの地である日光がある場所です。2020年にはコレクション展として小杉放庵にまつわる展覧会が開催されました。栃木県にゆかりの深い画家として、今後も同美術館にて小杉放庵に関する展覧会や近代日本画に関する展覧会が開催される際に作品が展示される可能性があります。

住所:〒320-0043 栃木県宇都宮市桜4-2-7
アクセス:
JR線宇都宮駅よりバスにて15分
東武線東武宇都宮駅よりバスにて5分
営業時間:9:30〜17:00(入館は16:30まで可)
料金:
一般:260円(団体は200円)
高大生:120円(団体は100円)
中学生以下は無料
※企画展観覧料は内容によって異なる
公式HP:http://www.art.pref.tochigi.lg.jp/index.html


東京国立近代美術館


東京国立近代美術館には、小杉放庵の初期作品「水郷」が展示されています。この作品は第5回文展にて二等賞(最高賞)を受賞した作品で、彼が一躍有名になった作品です。彼の画業の後半では東洋画に傾倒した作品を残すようになったため、初期の彼の作品、なかでも上京後の作品を鑑賞できます。

住所:〒102-8322 東京都千代田区北の丸公園3−1
アクセス:
東京メトロ東西線竹橋駅1b出口より徒歩10分
営業時間:10:00〜17:00(入館は16:30まで可)
※金・土は10:00〜20:00
料金:
一般:500円(団体は400円)
大学生:200円(団体は200円)
18歳以下は無料
※企画展観覧料は内容によって異なる
公式HP:https://www.momat.go.jp/


茨城県近代美術館


茨城県近代美術館には、小杉放庵の「老子」という作品が収蔵されています。タイトルからも分かるように、この作品は中国の思想家である老子が描かれた水墨画で、画讃として、「天の道は、人々に利を与えるが害を与えはしない。聖人の道は、行動を起こすけれどもけして争うものではない」という老子の言葉が記されています。

住所:〒310-0851 茨城県水戸市千波町東久保666-1
アクセス:
JR水戸駅より徒歩20分、タクシーで5分
もしくは「払沢方面」または「本郷方面」行きバスに乗り、「文化センター入口」にて降車、徒歩5分
営業時間:9:30〜17:00(入館は16:30まで可)
料金:
一般:320円(団体は240円)
高大生:240円(団体は180円)
小中生・70歳以上:180円(団体は120円)
小学生未満無料
※企画展観覧料は内容によって異なる
公式HP:https://www.modernart.museum.ibk.ed.jp/index.html



小杉放庵の代表作品


ここでは、小杉放庵の代表作品である「水郷」「飲馬」「椿」のほか、東京大学の安田講堂の壁画について解説します。洋画から影響を受けた初期の作品から、フランスへの旅で東洋画に転向した後の作品まで彼の作風の変遷を感じることができます。


水郷(東京国立近代美術館)


水郷」は第5回文展にて二等賞(優秀賞)を受賞した作品です。まるで写真作品のようにリアリティあるタッチで描かれた小杉放庵の初期作品です。当時は漫画や挿絵を仕事として描いていましたが、コマを描く際の細やかな筆づかいがこの作品にも活かされているように感じます。この作品を発表したのち、彼はフランスへと留学し日本画家に転向します。


飲馬(小杉放庵記念日光美術館)


「飲馬」は1914年に発表された作品で、馬が水を飲む姿が描かれた油絵です。馬のなめらかな形やその横に座って馬を眺める少年の姿からは、幼い頃より自然に親しみながら育った小杉放庵のやさしい眼差しを感じさせられます。また黄色い背景は琳派の絵画を彷彿させ、画業の早い頃より洋画と日本画を混淆させたスタイルを確立しているように思えます。



椿(東京国立美術館)


椿」では、椿の下にたたずむ猫が描かれています。小杉放庵が本格的に水墨画をはじめとした東洋画に転向した頃の1937年の作品です。ちょうど同時期に彼は中国や東北、北陸を旅しており、物語性を感じさせる初期作品と比べて、中国古典文学や「奥の細道」のような文学的なニュアンスが作品に漂っていることがうかがえます。


安田講堂内壁画(東京大学)


安田講堂内壁画作品である「泉」は、天平時代の美人を思わせる3人の女性がくつろいだ、穏やかな色調が特徴ののびやかな作品です。湧き出す泉は、知識の源として、新しい思想や研究を生み出す日本最高の学府である東京大学の象徴として描かれています。当時の小杉放庵はフランスのアール・ヌーヴォーに影響を受けた作品を制作しており、和洋折衷の独特な味わいのある作品を残しています。



小杉放庵の世界観


小杉放庵の作品は、初期の作品になると東洋的ロマン主義の傾向が表れています。例えば、東京大学の安田講堂の壁画から見られるようにピエール・シャバンヌをはじめとしたアール・ヌーヴォー様式を取り入れていたことがわかります。

しかしフランスに留学をした際、現地で池大雅の「十便図」を見たことをきっかけに日本画に目覚めます。それから放庵作品の後半は日本画に傾倒し、水墨画を数多く描くようになりました。

このような方向性の転向は、「東洋にとって古いものは、西洋や世界にとっては新しい」といった考え方に支えられていると言われています。

また、父親が国学者で幼い頃より国学の素読を行っていたこともあり、文学的な作風漂う作品を残しています。



小杉放庵の作品の価格相場


小杉放庵の作品の買取価格相場はおよそ数千円から数万円程度が目安となっています。新しい水墨画のスタイルを築いたため、水墨画作品になるほど買取価格が比較的高額になる傾向にあります。

日本画の相場はモチーフの種類によっても変わってくるため、同じ作家の作品でも全て同じ価格ではありません。小杉放庵の作品の場合では、著名作品になるほど買取価格が高くなる傾向だと言えます。

また、作品をなるべく綺麗な状態で保存しておくことや、実績が豊富な信頼できる専門店にて査定を行ってもらうことが高額での買取において大切です。



小杉放庵の年譜


小杉放庵は1981年に日光に生まれ、五百城文哉のもとに師事し、水彩画や油絵を学びました。その後上京し、文展に多くの作品を出展します。旅を続けながら作品を残しました。晩年に新しいスタイルの水墨画を確立し、晩年まで精力的に活動しました。


1881年:日光に生まれ、日光在住の洋画家五百城文哉に師事する


小杉放庵は、1881年に日光に生まれました。父親は平田派の国学者で神官をつとめていたため、幼い頃より父から国学の素読を習っていました。また、日光の自然に触れた少年時代も、彼の作風に大きな影響を与えました。

小杉放庵は中学を退学し、日光在住の洋画家である五百城文哉に師事しました。西洋名画の図版などを手本に模写するほか、油絵や水彩画など多様な絵画に取り組みました。五百城文哉のもとでは4年ほど学び、上京しました。


1897年:上京するが病気のため帰郷、自身の号を未醒とする


1897年に小杉放庵は五百城文哉に無断で上京しましたが、病気のため帰郷することになりました。しかし、1900年には再度師匠の許可を得て上京し、小山正太郎の不同舎に入って学ぶことになりました。この頃より自身の号を「小杉未醒」とし、漫画や挿絵を担当するようになりました。画業に専念していくうちに、彼の名前は次第に有名になり、油絵のほうにも注力するようになりました。


1911年:第5回文展にて「水郷」が二等賞(最高賞)を受賞する


油絵のほうにも注力するようになった小杉放庵は、文展にも作品を出品しました。明治43年の文展から「杣」(三等賞)、「水郷」(二等賞)、「豆の秋」(二等賞)と3年連続で入賞し、画壇に認められるようになったのもこの頃からです。

その後、小杉放庵は1913年よりフランスに留学しましたが、現地で池大雅の「十便図」を見たことにより日本画に目覚めました。帰国後からは水墨画も手がけるようになったほか、日本美術院の再興に伴い横山大観に誘われて洋画部設立に貢献しました。


1922年:春陽会を結成し、放庵と名乗る(後に放菴と署する)


小杉放庵はフランスからの帰国後、現地で心惹かれたシャヴァンヌの装飾画のような作品を数多く残しました。そのひとつが東京大学の安田講堂の壁画です。大正の半ばになると日本美術院の洋画部との意向の違いから脱退し、それに伴い彼は1922年に森田恒友、山本鼎、倉田白羊、足立源一郎らとともに春陽会を結成し、「放庵」と名乗り始めました。


1925〜1927年:東京大学安田講堂の壁画や都市対抗野球大会の優勝旗「黒獅子旗」をデザインする


小杉放庵は東京大学の安田講堂の壁画のみならず都市対抗野球大会の優勝旗「黒獅子旗」をデザインしました。また、同時期に芭蕉「奥の細道」紀行をしたい友人とともに東北、北陸に旅に出ました。その後さらに水墨画に親しむようになり、「奥の細道帖」の製作に没頭しました。


1933年:初の歌集「放菴歌集」を刊行した際に「放菴」の号を初めて使う


1993年には小杉放庵は中国へ旅行し、自身初の歌集「放菴歌集」を刊行しました。その際に初めて「放菴」の号を使いました。1935年には帝国美術院の改革が進む中で官選という形で会員に選出されたものの、洋画壇と帝国美術院との対立のために辞任し、戦時中は新潟県へ疎開しました。東京・田端の自宅が空襲で襲われたため、戦後も新潟で暮らすことになり、その地で新文人画とも言える新たなスタイルの水墨画を確立しました。


1958〜1964年:日光市の名誉市民となった6年後に肺炎で死去。墓所は日光市へ


戦後もなお小杉放庵は精力的に活動を続けましたが、1958年には日光市の名誉市民として選ばれました。1960年には画集60年展を開催し、初期の洋画から日本画の素描まで多くの作品が展示されました。翌年ごろより肺炎の症状が目立ち始め、次第に寡作となっていき、1964年にこの世を去りました。墓は日光市にあります。

没後も長男の小杉一雄を中心として小杉放庵の紹介や顕彰が続けられ、1980年には文集「放庵画談」が刊行されたほか、1992年には彼の作品が日光市へ寄贈されました。



小杉放庵に関するトリビア(豆知識)


ここでは、小杉放庵に関するトリビアを紹介します。彼は運動神経が優れており、さまざまなスポーツ団体に所属していただけでなく、お酒が好きであることをきっかけに最初の雅号「未醒」がつけられたといったエピソードがあります。


テニス・野球・空手などスポーツが趣味でさまざまな団体に属していた


小杉放庵は、運動神経がよく、テニス・野球・空手などスポーツが趣味でさまざまな団体に所属していました。テニスでは「ポプラ倶楽部」に所属し、当時彼が住んでいた田端の自宅のテニスコートで、洋画家たちの社交の場となりました。

また、野球では「天狗倶楽部」に所属しました。「天狗倶楽部」は、アマチュア野球愛好家の集いでしたが、のちに野球界に殿堂入りする人物も輩出するほど、実力のあるメンバーも所属していました。


小杉放庵の最初の雅号「未醒」は師匠からお酒の飲み過ぎを注意されたことに反抗したのがきっかけ


小杉放庵の最初の雅号「未醒」は、師匠である五百城文哉からお酒の飲み過ぎを注意されたことに反抗したことがきっかけで名付けられました。彼は若い頃よりお酒が大好きでしたが、師匠は全くお酒が飲めませんでした。泥酔する彼の姿ですら受け止める五百城文哉ですから、よほど彼のことが気に入っていたのでしょう。

また、小杉放庵は一度五百城文哉に隠れて上京したものの、病気で帰郷し再び師匠のもとで学びます。このように五百城文哉は小杉放庵を広い心で受け止めてくれる人物だったのでしょう。



小杉放庵の作品は獏にて強化買取中


小杉放庵は、西洋画のみならず水墨画といった東洋画を描いた画家です。東京大学の安田講堂のようなアール・ヌーヴォーを取り入れた作品のみならず、芭蕉の「奥の細道」に影響を受けた水墨画を残し、幅広い作風が特徴的です。

当店では現在小杉放庵作品の買取を強化しています。アート作品は価値の判断が難しいため、スタッフが念入りに査定いたします。また、絵画作品だけでなく、茶道具や陶芸作品など幅広く買取いたします。買取の流れや買取実績、ご不明点などございましたらお気軽にお問い合わせください。

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