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野見山暁治の作品の買取価格とポイント

野見山暁治

1920年 〜 物故作家
福岡県飯塚市生まれ。炭鉱経営者の子として生まれる。17歳で福岡から上京し、東京藝術大学油絵科に入学。在学中に太平洋戦争が勃発し召集される。陸軍に所属し満州へと送られるが、肺の持病が悪化し福岡の療養所に戻ることになる。再び東京に戻ることができたのは、終戦から3年後であった。1952年、31歳でフランスに渡る。美術館巡りをしながら絵を描いて稼ぎ、画商と契約し個展を開くまでになった。その後、東洋画への郷愁の念が高まり43歳で日本へ帰国。抽象画へと作風も変わってゆく。帰国後は武蔵野美術大学、次の年には母校の東京藝術大学で教鞭を取った。60歳で大学を後にし、様々な美術館で大規模な回顧展を開く。近年はステンドグラス制作も行っており、東京メトロ副都心線・明治神宮前駅やJR博多駅、福岡空港国際線などで作品を見ることが出来る。多才で絵画の他にエッセイも書き、1978年「四百字のデッサン」で日本エッセイスト・クラブ賞を受章している。2000年文化功労者に選出、2014年、文化勲章受章。2022年現在101歳となり、依然力強い筆致で意欲的に制作を続けている。

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野見山暁治のポイント

野見山暁治の作風

フランス滞在時にフランス人の友人と東洋画を見ていた時に、その洗練されたシンプルさに気付かされたと話しています。何もない画面に、船が一艘書かれているだけでそこが川か海かどうか分かり、水平に線が一本あったらそこから上は空で下が海だと判断がつくのは東洋人ならではの感覚だと、遠くフランスで気付かされたそうです。西洋画の組み立て方を学びに渡仏した結果、東洋画の魅力を再確認することになりました。
その結果、初期は風景や人物を描いた具象画でしたが、渡仏後は抽象へと画風が変化していきます。荒々しく力強い黒に黄色や赤・青で彩色された抽象画は、よくよく見ると幼い頃野見山が過ごした炭鉱町の山の丘陵線や水平線が浮かび上がってくるようです。作品は油彩画多いですが、版画作品も制作しています。
87歳の時に自身初のステンドグラスに挑戦、1年半かけて完成した10mもの力作「いつかは会える」は東京メトロ副都心線の明治神宮前駅で見ることが出来ます。その他にも東京メトロ銀座線の青山一丁目駅、JR博多駅や飯塚市役所など全国でステンドグラスを制作しています。100歳を超えてなお制作意欲は止まることなく、現在も全国で個展を開催、新作を発表し続けています。

野見山暁治の現在の評価と価値

2014年に文化勲章を受章し、100歳を超えても第一線で活躍されています。具象画から抽象画まで幅広さ作風が印象的です。野見山暁治の作品のご売却をご検討の際はお気軽にご相談ください。

野見山暁治の作品

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