ジョアン・ミロ作品の買取・査定相場と最新の買取価格を公開

海外

ジョアン・ミロ

ジョアン・ミロ

買取相場

 

種類 モチーフ 買取相場
版画(リトグラフ) 抽象イメージ 数万~数十万円
銅版画(エッチング・アクアチント・カーボランダ) 抽象イメージ 数十万~300万円

※掲載時の相場のため、最新の買取価格はお問い合わせください.

※内容により取り扱いが難しいケースもございます.

評価の高い作品の特徴

ミロはスペインを代表する偉大な作家で、世界的な認知度を誇ります。バブル期前後に大量に作品が国内で販売され、現在問い合わせを多くいただく作家のひとりです。世界的な作家のため、現在も需要があります。ただ、油絵作品は国内の市場で出回ることは少なく、殆どは版画作品です。
版画でも購入時期によってはかなり高額で売買されていました。その時の価格帯と比べると落ち着いた印象ですが、作品によっては高価買取を期待できます。

 

ミロの版画は<リトグラフ>と<銅版画(エッチング・アクアチント・カーボランダ)>に大別され、具体的な金額は作品次第ですが、リトグラフだと数万~数十万円、銅版画だと数十万~300万円くらいになることが多いです。
サイズが大きく(縦横1m以上)、かつ銅版画ですと100万円を超える可能性が高くなります。もちろん、リトグラフでも100万円以上の作品もありますが、相対的に銅版画の方が多い印象です。

相場価格帯は幅がありますので、ミロのご売却をご検討の際は、お気軽にご相談ください。

版画作品の注意点のひとつに【限定部数】があります。限定部数とは作品が何枚摺られたかを証明する番号で、一般的には2/100や50/300などで書かれています。このような限定部数は大丈夫ですが、EA、AP、HCなどで表記されている場合は注意が必要です。作家や摺師の保存版等、販売を目的としない作品に記されている限定部数ですが、世界の主要オークション会社でこのような限定部数の作品を積極的に取り扱わなくなったため、市場価値が落ちてしまいます。
また、ミロ作品は贋作も多く出回っているため、取り扱いが難しいケースもございます。

ジョアン・ミロの評価ポイント

作品にもよりますが、国内で多く出回っている版画作品でいえばリトグラフよりも銅版画(エッチング・アクアチント・カーボランダ)で摺られた作品の方が高価買取を期待できます。また、作品自体が古いため、シミやヤケなどが無いか、コンディションも査定する上で重要になってきます。
「星座」シリーズは小さい作品ながらも高い資産価値を持っており、青をふんだんに使用した作品が良いとされています。

サインで年代が分かる?

ミロの作品はサインの形で大体の年代が分かるとされています。「Miro」のサインの「M」の字が角ばっているものは初期の作品で、丸っこいものは中期から後期にかけての作品です。

ジョアン・ミロの最高落札金額は約30億円

2020年7月にロンドンのサザビースで行われたイブニング・セールでこの瞬間が訪れました。レンブラントなどの古い作品からアンリ・マティスやシャガールなどの近代美術の巨匠、さらにはバンクシーといった現代美術の作品までを網羅し、約1億5000万ポンド(約204億円)の総売上高を記録しました。そこで出品されたジョアン・ミロの絵画「Peinture(Femme au chapeau rouge)」(1927)は、2000万〜3000万ポンド(約27億〜41億円)の予想落札価格に対し、2230万2140ポンド(約30億円)という数字で落札され、同セールにおける最高額を記録。1927年に制作された同じスケールで青い背景を持つ一連の作品のうち2点は、現在アメリカのフィラデルフィア美術館とスイスのバイラー財団に所蔵されています。

お客様の声

男性・50代 満足度 ★★★★★

父が所有していたジョアン・ミロの絵画を査定していただきました。家族で大切にしていた作品だったので、出張買取の際には丁寧な対応をいただき、安心してお任せできました。予想以上の査定額に感動し、心から感謝しています。担当の方の専門的な知識と親切な説明に感謝いたします。

女性・60代 満足度 ★★★★★

家財の整理でジョアン・ミロの絵画を手放すことになり、店頭で査定をお願いしました。担当の方が丁寧に対応してくださり、査定額も納得のいくものでした。絵画の背景や価値について詳しく教えていただき、感謝しています。安心してお取引できたことに大変満足しています。

ジョアン・ミロの魅力を深掘り

ジョアン・ミロ

ジョアン・ミロ

1893~1983年 物故作家。
スペイン・バルセロナ生まれ。一時は商社に勤務し、1912年からバルセロナのガリ美術学校で再び絵を学ぶ。印象派やフォーヴィスム、キュビスムの画家たちに影響を受けた風景画や肖像画などを手がける。1919年に初めてパリへ訪問し、パブロ・ピカソに出会う。1920年にパリに移住する。1924年頃よりシュルレアリスム運動に参加する。1928年にオランダを旅行し、ヨハネス・フェルメールの作品に影響を受けてコラージュ作品を制作。またエッチングや彫刻、舞台美術などにも取り組む。1936年にスペイン内戦が勃発。翌年のパリ万国博覧会スペイン館にて、ピカソの《ゲルニカ》と並んで壁画《刈り入れ》が展示される。1941年にニューヨーク近代美術館で回顧展を開催する。1976年にバルセロナに『ジョアン・ミロ財団現代美術館研究所』が開設する。1983年にマリヨルカ島のパルマで死去する。
2023年に安曇野 ジャンセン美術館で「ジョアン・ミロ展」が開催された。

2024年に群馬県立館林美術館で「スペインの巨匠•ミロ 版画の宇宙」が開催された。

ジョアン・ミロ

ジョアン・ミロが「ホアン・ミロ」と呼ばれる理由

ミロは1893年スペインに生まれました。かつてミロが活動していたスペインは1936年から75年までフランコ体制下であったため、カスティーリャ語以外のスペイン語の使用を禁止しており、カスティーリャ読みで「ホアン・ミロ」と呼ばれていました。現在ではミロの出身地でもあるカタルーニャ地方のカタルーニャ語の原音を尊重して「ジョアン・ミロ」「ジュアン・ミロ」と記載されることが多いですが、いまだに当時の名残でホアン・ミロと書かれていることもあります。

ジョアン・ミロの作風

ミロは記号のようなイメージを鮮やかな色合いを合わせながら構成した作品が特徴的です。シュルレアリスム作家の一員として語られる事が多いですが、ジャン・デュビュッフェが考案した<アールブリュット>に近い作風ではないかと思います。アールブリュットとは既存の美術や文脈とは異なる角度から制作された芸術作品をいいます。学問として絵を学んでいない人が描いたものや、幼児が描いた絵などが分かりやすいのではないでしょうか。

 

1920年頃から抽象的なイメージや記号を使用するようになり、代表的なモチーフを確立しだしたのは、1924年頃にシュルレアリスム運動に参加した頃からでしょう。無意識に湧き出るイメージを、具象と抽象を織り交ぜた自由度が高い作品を形成してきました。1940年には「星座」シリーズに着手し、1950年代以降は陶器や彫刻作品に没頭し作品の幅を広げました。

ジョアン・ミロの代表作

  • 「リトグラフ1」より

    (1972年)

  • Le 13 l’echelle a frole le firmament

    (1940年)

  • 矢のある頭

    (1968年)

【ジョアンミロ】銅版画とリトグラフどちらの技法が高いのか解説します!

0120-89-0007 営業日10:00〜18:00 日祝休み メール LINE